おみそコラムcolumn
ニッポンの文化を見直そう7 冬は酒粕を使って身体を温める―
冬は酒粕を使って身体を温める―、これが先人達の知恵なのだ
 冬になったら粕汁をすする―、これは灘周辺、いわば阪神地区では当たり前のこと。ところが粕汁を作ったり、酒粕で調理したり、時にはざらめを載せた酒粕を火鉢や七輪で焼いておやつのように食べたりするのは、京阪神ならではの食文化で、全国的には通用しないものなのだ。最近では首都圏でも多少は酒粕が売られているようだが、少し前までは東国の人はそれで料理を作るなんて考えはほぼなかった。特に酒蔵見学に来た東京の人に、「日本酒造りの副産物として出る酒粕で粕汁を作ると旨いですよ」と話した所で彼らにはピンと来ない。それもそのはずで粕汁自体を知らないからだ。それくらい酒粕は決まった地域でのみ利用されている素材なのである。では、他地方では出て来た酒粕をどうしているかといえば、大半は漬物屋さんへ漬ける時の材料として送ったり、あげくの果ては家畜の餌に用いられる。関西以外は料理への執着が少ないといえよう。
 そもそも酒粕とは、日本酒などのもろみを圧搾した時に残る固形物をいう。もろみを搾ることで清酒ができて、その副産物として酒粕が残る。ただ「かす」とは名ばかりで、実はこれには栄養素がたっぷり含まれている。列挙すると、タンパク質、ビタミンB1・B2・B6、葉酸、パントテン酸、食物繊維ときりがない。おまけに近年の医学界では糖尿病や高血圧の予防に、また心筋梗塞、脳梗塞の予防やガンの抑制にいいと報告されている。
 今から5~6年前、この酒粕文化が危機に瀕していた。原因の一つは大手酒造メーカーの技術革新によるもの。高熱液化仕込みなる製造法を採用したおかげで、酒粕があまり出なくなったからである。加えて若い人達が昔からの調理習慣を軽んじる傾向が見え、関西圏でも次第に粕汁を作る家が少なくなって行った。
 このままでは、古くからこの地に根づく酒粕文化がなくなってしまうとばかりに、文化継承の企画を打ち出した。それが酒粕プロジェクトである。同プロジェクトでは、やはりいい酒粕が必要とばかりに、神戸酒心館の「福寿酒粕」を基本材料として考え、神戸の店々がそれを用いて新たな酒粕料理の発表を行う。こうして地域に酒粕プロジェクトが根づいて行ったのだ。昨今、テレビや雑誌で東京の料理人やフードコーディネーターが酒粕をさも新しい食材かのように使っている光景に出くわすが、これとて同プロジェクトの波及効果。酒粕文化の危機を訴えて始めたものが今では静かなブームまで巻き起こしてしまった。
 令和2年1月21日に、「酒粕プロジェクト2020」のマスコミ発表会が開かれた。今年度のテーマは”匠の味“で、和洋中、チーズ、バー、ラーメン、酒蔵、味噌蔵の8つのジャンルから”匠“と称すほど技術のある人を選出し、それぞれの分野での使い方を披露してもらう。そんな趣向で今年の2月は酒粕プロジェクトを始めた。このうちの一つ、味噌蔵ジャンルからは六甲味噌製造所の長谷川憲司社長が選出されて新たな味噌づくりに挑んでいる。それが2月上旬に発売になる「酒粕みそ」である。同味噌は、神戸酒心館「さかばやし」の加賀爪正也料理長と六甲味噌製造所が意見を出し合いながら味を決めたもの。これは「芦屋そだち米赤こし味噌」をベースにして、「福寿」酒粕を加え、酒や砂糖などを入れて甘めに調味したものである。甘口の米赤味噌は、もともとこの地に古くから定着していた味噌の味で、そこに地の酒粕が入ることで、阪神間らしい風味に仕上がったといえよう。
基本的にはなめ味噌のような使い方がいいようで、豆腐やコンニャクなどの田楽に使用してもいいし、蒸した野菜のディップとして使うのも手。サラダや焼きおにぎり、五平餅などにも使えそうな調味料になっている。

 古くからこの辺りでは、骨正月と呼ぶ習慣もあったそう。これは二十日正月ともいい、正月用の祝いに使ったブリを食べつくし、骨と頭だけになったものを、粕汁の具材に使ったことに起因している。ブリの頭と骨でだしを摂り、酒粕を入れて粕汁にする。大根などの野菜もたっぷり入れて栄養価のある一品を食した。こんな習慣が今ではなくなりかけているのも嘆かわしいこと。酒粕を用いることで身体を温める―、これがこの地に暮らした先人達の知恵なのだから…。
(2020/1/31)

(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)

<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。