おみそコラムcolumn
日本の文化を見直そう Vol.16 〜人づきあいが希薄になった今、あえて提案したい「手みやげ」の習慣づけ〜
気軽な手みやげとて神饌を意識すれば!?
年々日本人が培って来た物事の良さが薄れていくようで心配だ。日本では、古くからモノを贈ったり、贈られたりする文化を当たり前のように行って来ており、それで人と人との結びつきが強化されていた。年に二回、中元と歳暮を贈るのもその一つでの事例で、かつてはこれが習慣的になっていたのだ。それがいつの頃からか、簡素化され、虚礼廃止の声に押されるかのように次第に贈り物が行き交うことが少なくなってしまった。“贈答”について調べると、贈は贈るを意味し、答はお返しを指すとある。モノをもらったことに対してお返しをするのは当然で、これが日本の良き風習とされていた。つまりお礼と感謝の気持ちを伝える文化が、この国には根づいていたということだ。
そもそも贈り物とは、神様への捧げものから来ている。天災や飢饉が起こらぬよう、神様へ捧げものをして祈ったのがルーツで、それを“神饌”などという。現在でも風習が続く、お年玉やお年賀もそう。これらは歳神様からの贈りものをいい、お年玉は目上から目下へ、お年賀は目下から目上へと渡す行為を指す。返しについては、内祝いが今も残っているものの一つだろう。内祝いの内とは身内のこと。今でこそお祝いに対するお返しのように行われているが、実は自分にめでたいことがあった時に感謝や記念の意味をこめて幸せのお裾分けをすることとした。お裾分けは、江戸時代によく行われた行為の一つで、近所にそうざいを持っていくことを表した。入れ物の器を返す時に別のものを入れて返礼するのが習わしで、このようにして近隣の人達とうまくつきあったものである。贈りものから少し逸れるが、村八分とはつきあいをすることを制限したもので、村での交際と言われる冠・婚・葬・建築・火事・病気・水害・旅行・出産・年忌の10のうち、火事と葬儀を除く8つを行わない取り決めがそれである。江戸時代以降に成立したものらしいが、一切の交際を断ち、仲間からはずすが、火事は燃え広がらぬよう協力せねばならぬし、葬儀は人の死は尊厳に関わることだから例外とした。それくらい日本人は、人とのつきあいに気を遣ったということだ。
話を贈り物に戻そう。モノを贈る習慣は、薄れたとはいえ、今でも中元と歳暮が二大儀式ではある。中元は、中国から来たものだ。暦において1月15日を上元、10月15日を下元といい、その間の中元は7月15日にあたる。旧暦の盆がその頃にあたり、日本では仏教の風習と交錯し、贈りものをする行為が根づいたとされている。一方、歳暮は日本古来のもの。年の暮れに先祖を祀るための行事として御霊祭があり、そのお供えから派生したといわれている。ただ、今のようなスタイルにしたのはデパートが大きく関与している。日清戦争や日露戦争の勝利に湧き、好景気を背景に生まれた百貨店が中元・歳暮に贈りものをする文化を根づかせたと伝えられる。
何でも欧米化し、虚礼廃止が叫ばれてモノを贈り合う文化がなくなって行こうとしているのだ。特に熨斗を貼っての贈りものは仰々しいと敬遠する傾向が強い。贈る時には包んで水引をかければいいというわけではない。元来、熨斗とはアワビの貝を薄く干したもので、これを貼ることで生を添えたという意味を表した。贈りものには熨斗を貼るのが当たり前とされるが、実は鰹節や生鮮品は生ものなので熨斗が不要といわれている。現在は、水引と熨斗を印刷したものを熨斗紙といい、それをつけることが一般的になっている。結びにも蝶結び、結び切り、あわじ結びとあり、何度あってもいいことと、一度きりであることを意味するものがある。このように慶事や弔事で使い分けしたりする事や、その内容を覚えておくのが面倒だとの若い人の感覚もわからぬわけではない。だからと言って贈り、贈られの文化をなくしてしまおうは、いささか問題をはき違えているのではなかろうか。
本屋を覗くと、「手みやげ」に関する雑誌や書籍が多く見られる。今、手みやげはちょっとしたブームになっており、ありきたりの品ではなく、気の利いたものを持って行くのがいいとされている。何も手で持って行かなくても気の利いた品を送り合う行為でもいいのではなかろうか。自分のお気に入りを贈ったり、気になっている品を届けたり、そんな行為が増えれば、日本の贈りもの文化は復活する。そこには堅苦しい水引や熨斗がなくても成立すると考えれば尚いいのだ。Amazonのちょっとしたお返しランキングには、グリコのおつまみ15品セット・ジョッキ型BOXや吉松グッピーラムネ「お世話になりました」、お菓子の詰め合わせ大量お菓子セットなんていうものがオススメとして載っていた。何も肩肘張らなくても、手みやげは洒落っ気のあるものでもいいのだ。特に熨斗も貼っていないのだから。
手みやげは、贈りもの文化を最も簡易な行為とするなら、やはり遡ればそのルーツは神饌に行き着く。神様への捧げものでは、米・酒が多い。味噌も米からの加工品と考えれば、神饌にふさわしい。中元・歳暮もいいけれど、もっと気軽に贈るものとして、オシャレな味噌ギフト_、例えばそれを風呂敷風に包んで持って行く(又は宅配便で送る)。そんな文化が根づけば面白い。春は人が動き、門出や別れが多いのでそんな季節に芽ばえれば…。季節の移り変わりを示す春と秋に、手みやげ文化が根づきそうな気がする。(2022/2/17)
(フードジャーナリスト・曽我和弘)