おみそコラムcolumn
ニッポンの文化を見直そう2

春に苦みを食べるのは理由(わけ)がある

 料理人にとって食材に頭を悩ませる時季がある。それは野菜が成育していない春である。夏は鱧があったり、その特性から肉が好まれたりし、トマトやかぼちゃなどの夏野菜が季節を代表するものとして使われる。秋は収穫の時期で言わずもがな。一見、ないように思える冬は、ふぐにクエ、牡蠣、蟹、あんこう、猪、鹿と列挙すればきりがないほどだし、根菜もこの季節が旨い。それに比べて春は、冬野菜が終わりを告げ、そのあとの野菜へ移行する、まさに途中で、何もないのが現状であろう。昔から「春は苦みを盛る」といわれて来た。これはきっと苦肉の策で、苦みを有す山菜ぐらいしか使う食材がなかったからだと思われる。

 

 当然ながら人は舌で味覚を知る。甘味、酸味、塩味、苦味が基本線で、それに旨味が加わって五味となっている。そのうち苦味は、一番後で旨いと感じる感覚らしい。わかりやすいのは甘味で、子供が甘いものを好むのも五感のうちで最もわかりやすさがあるからだ。苦い=大人の味とするのは、やはりわかりにくさで、人は色んな味を経験してからでないと苦いものを求めない。その好例がビールであろう。

 ただ、春に苦みのある山菜を食すのは、理に適っている。冬眠した熊が春に目を覚まし、蕗の薹を食べて、その苦みを使ってデトックスするといわれている。蕗の薹だけとは限らないかもしれないが、山にその頃あるものといえば山菜なので、それを食べることで冬の間に溜まっていた毒素を排出するのだ。人間だって同じ、冬眠はしないが、寒い季節には身体を動かしづらい。だから「春は苦みを盛る」のだ。

 

 山菜が身体にいいと持て囃しだしたのは、まだまだ調味が調っていなかった平安時代。山菜自体はすでに縄文時代から食べられてはいたが、平安時代になると、貴族がその旨さをわかったのか、はたまた利用効果を知ったのか、それが身体にいいと広めている。但し、山菜なる言葉ができるには、やはり料理法が確立した江戸時代を待たねばならないのだが…。

山菜と一言でいっても色んなものがある。キノコ同様、毒があるものを間違って食べてしまうことだってあるだろう。我々が今、春になると山菜を安心して口にできるのは、上杉鷹山の功績が大きい。彼は凶作で食べるものがない場合は、山菜を活用しようと考えて米沢藩の藩医に山菜の研究を命じた。これが要因となって米沢藩は天保の飢饉でも犠牲は多く出ていない。

 調味というのは、よく出来たフレーズで読んで字の如く味を調えることを指す。日本人は、昔から味噌をその材料に使って来た。例えば、蕗の薹味噌なるものがあるが、これは細かく刻んだ蕗の薹を油で炒めて味噌とみりん、砂糖、酒などを加えながら水分がなくなるまで炒めて作る。下茹ですると、苦みは抑えられるが、そうしなくても味噌を入れることで苦みが出て来にくい下地を設けている。筍を木の芽和えにするのも同じ意味で、茹でてアクを取り、木の芽や味噌、砂糖を混ぜて食べやすくする。山菜は、野生植物なので苦みがはっきり出ていたり、灰汁があったりと、他の食材と比べると洗練されていない。そこに味噌を加えることで苦みを緩和して来たのは、我々先祖の知恵と誉めねばなるまい。春は、苦味が身体にいいとわかっていてもその個性が苦手であるという向きも。ならば、味噌を用いるべし!-、そう先人たちは、伝えているのだ。

 

文/フードジャーナリスト 曽我和弘

<著者プロフィール>

曽我和弘

廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。