おみそコラムcolumn
ニッポンの文化を見直そう3

田楽とは田遊びのこと。それが味噌田楽に変わってしまった

 日本には農耕文化が根づいている。殊に米は重要で、今でいうお金のように用いられたり、税としても活用されている。かつての大名は百万石とかいって、石高で表すのもその地域の米の収穫量を物語っているのだ。地方へ行くと、棚田百選に選ばれた美しい景色に出遭う。これとて米の文化を象徴したもので、狭いながらも土地を工夫して稲作を行った-、その日本独特の土地の使い方が今や美しい風景として語られているのだ。先日、九州の棚田を眺めていた時に、「棚田は田んぼですか?畑ですか?」と尋ねられた。基本的な説明をしておくと、棚田とはその字が示す通り田んぼを指す。では畑はどう呼ぶかというと、誰もがご存知の段々畑となる。段々畑は野菜などを作る畑のことで、棚田は同じ様に見えても形が違っており、水を張れるように畦が作られ、その部分が田んぼより高くなっているのだ。
 田植えは、雨がよく降る6月に集中的に行われる。稲がよく育つことを願って祭りが行われ、米が穫れたといっては秋に祭りを催す-、それがニッポンなのだ。我々は昔から田楽なる言葉をよく耳にするが、これは田植えと密接な関係が生じる。平安時代にできたとするこの伝統芸能は、田植えの前に行うもので田遊びから発展し、豊作を祈る意味から行うようになっていた。それがいつしか寺社の保護を受けて座が作られ、田楽法師なる職業まで生まれるようになった。室町時代は色んな文化が成長した時代だが、田楽も能楽へと発展。世阿弥の登場によって能は大成していく。

 現在、我々は田楽といえば何を想像するか?多分、豆腐やこんにゃく、茄子に味噌を塗った食べ物ではなかろうか。この発想は現代ならではかと思いきや、江戸時代には「田楽は、昔は目で見、今は食ひ」という川柳が詠まれている。つまり庶民文化が発達した江戸時代には、すでに田楽は田遊びや能ではなく、味噌田楽を想像していた証しであろう。
 味噌田楽を調べてみると、豆腐やこんにゃく、茄子、里芋などを串に刺し、砂糖やみりんを配合して木の芽、柚子などで香りをつけた味噌を塗って焼いた料理とある。豆腐を串刺しにして焼いた料理が生まれたのは平安末期となっているが、この時代にはまだまだ田楽味噌は登場していない。味噌がすり鉢ですり潰されて今のような調味料的な使い方になり出すのは室町時代で、永禄年間(1558~1570年)には焼いた豆腐に味噌をつけた料理が流行しているのだ。それが田楽となった背景には、豊作を願う田植えの田楽が関与しており、白い袴で一本足の高足に乗って踊る田楽法師と、串刺しにした豆腐を焼く様が重なったのだろう。

 江戸時代に風俗を記した随筆本「守貞漫稿」(作者は喜田川守貞)が出版されるが、ここで「今は食類に味噌をつけて焙りたるを田楽という、昔は形に因て名とし、今は然らず」を書かれているように、串に刺さなくても味噌をつけて焼くだけのものを総じて田楽と呼ぶようになった。そもそもおでんとは、「田」の前に女房詞(にょうぼうことば)の「御」をつけたもので、味噌田楽のことをいう。それが東へ行って変化し、関東大震災の炊き出しとして醤油味のだしで煮込まれた。なので今のおでんは、正式には関東煮と呼ばなければならない。味噌も使っていないのに「おでん」とは本来はおかしい。
文/フードジャーナリスト 曽我和弘