おみそコラムcolumn
ニッポンの文化を見直そう5 体育の日の由来はどこへ?
体育の日の由来はどこへ行ってしまったのか?
 NHK大河ドラマ「いだてん」を観ていると、一般的歴史大河とは異なり、オリンピックにまつわる色んな話が出て来て面白い。視聴率は低調だそうだが、ありふれた戦国ものや幕末ものと違って知らなかった話を続々と教えてくれるのだ。そもそも同ドラマは、来夏の東京オリンピック・パラリンピックを盛り上げる意味で企画されたものと推測される。猛暑をどう乗り切るかなど、場外的議論が白熱している一方、本論はスポーツの大会をいかに楽しむべきかにあるのだろう。

 夏の暑さばかりが取り沙汰される東京開催だが、ふと考えてみると、昭和39年(1966)に行われ続けた前東京オリンピックは、確か秋時期の実施ではなかったか。その証拠に東京オリンピック開会式が体育の日の由来になっている。東京、メキシコと10月開催だったオリンピックがその次のミュンヘンでは8月末開催になり、モントリオールでは7月に開かれている。秋の大会がいつのまにか夏になったのかと思いきや前東京大会の一つ前になるローマは8月末、1932年のロサンゼルスから1952年のヘルシンキまでも4回連続して夏に行われている。「10月10日は晴れやすいから前東京オリンピックの開会式となった」との噂も出ているようだが、それは嘘で、気象庁のデータ上では、特に晴れやすい(特異日)とは示されていない。
 天気を表す言葉に“秋晴れ”なるものがある。これは空気が澄んだ状態で、空が抜けるような晴天を指すもので、秋に多く見られる。秋でいうなら気象特異日(気象の平均をとったとき、偶然とは考えられないほど大きな確立で出現する日)の一つは、11月3日が秋晴れになるらしい。気象特異日を選択するならば、前東京オリンピックは、むしろ11月3日の方がよかったと思われる。辞書で秋晴れと引くと、晴れ渡る秋の天気のことと書かれている。昔から人は、その秋晴れを時候の挨拶に用い、「秋晴の候」と記した。これとて「あきばれのこう」ではなく、「しゅうせいのこう」と読むのが正しい。秋晴の候は、白露(9月7日)から霜降の前日(10月22日)まで使うのが正しい時候の挨拶である。ちなみに白露や霜降も二十四節気の一つで、暦での節目を表す言葉になっている。

 ところで、国民の祝日・体育の日ができたのは、前東京オリンピックが開催された翌々年の昭和41年から。その理由は、国民が健康や体力の保持増進に努め、明るく住みよい社会をつくることを願ってとある。それが前東京オリンピックを記念しての由来となっているよう。だが、嘆かわしいことに近年はハッピーマンデーが導入され、10月の第二月曜が体育の日になってしまっている。前東京オリンピックを記念していることなんて関係ないし、旅行需要のための三連休に埋没してしまっているのだ。記念日を祝日にしたかったら、いっそのこと体育の日とせずに東京オリンピック記念日にしていた方がよかったのではなかろうか。

 かつて体育の日には、その言葉通り全国の小・中学校で運動会が催されていた。それとて近年は秋よりも5月の開催が増えていると聞く。何のための体育の日だったのか、はなはだ疑問が残ってしまう。

 運動会には弁当を作って応援なんてイメージがどこの学校でも繰り広げられた。そんな時に味噌は調味料としてだけでなく、保存性をいかす意味でも用いられて来たのだ。その昔、戦国武将は、味噌を必ず持ち歩き、戦陣食として活用していた。だから強い武将の国には、名物味噌が存在しているのだ。調味料としてだけではなく、貴重なたんぱく源として、はたまた保存可能な栄養食として。運動会で「紅勝て、白勝て」と弁当持参で観戦していた頃が懐かしい。あっそうそう、運動会の紅・白わかれての組み配置も源平合戦がルーツである。源氏が白旗を、平家が紅旗を用いていたことから対抗戦などの組分けを“紅白”とした。「いだてん」を観て、東京オリンピックのことを考えていたらかくも長く語ってしまった。何事にも由来がある_、そんな事を教えてくれそうな秋晴の候である。
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)

<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。