おみそコラムcolumn
ニッポンの文化を見直そう 番外編
ニッポンの文化を見直そう 番外編
知らない日本人が多すぎる?ハロウィンの由来
 世界中のいたるところで様々なお祭りが行われているが、世界各国で発祥したお祭りをさも自分の国のモノのように祝う民族と言えば、日本人が世界一かもしれない。
 中でも代表されるのはやはりクリスマス。国内におけるその経済効果は約7,000億円とも言われている。長らく次点につけていたのはバレンタインデー(同約1,100億円)だが、近年ではハロウィンがそれを抜き、2018年は約1,200億円の経済効果をあげたそうだ。夏休みの終わりからクリスマスまでの約4か月間、平成中期ごろまでは商業者にとって苦しい期間だったが、ちょうど間の10月末に行われるハロウィンは日本の第3次産業にとってまさに救世主とも言えるイベントだろう。

 さて、これがなぜ「Halloween」と呼ばれるのか、その説明ができる日本人はどれだけいるだろうか。そのお祭りやイベントがどんな所縁をもって生まれ、何のために行われているのか。今日の日本人はそんなことを知らずとも心の底から祝うことのできる民族なのである。いや、柔軟な考え方ができる民族と言うべきか。

 せっかくなので、なぜハロウィンが生まれ、人々が仮装をして騒ぐのか、そしてなぜ「Halloween」と言われるのかなどをここで紹介しておきたい。というわけで前置きが長くなったが、今回のコラムは「ニッポンに浸透した外国文化」ということで「番外編」とさせていただくことにする。

 ハロウィンの起源については諸説あるが、中でも有力なのは2000年以上前に中央アジアからヨーロッパに渡来した「古代ケルト人」が信仰していた「ドゥルイド教」の儀式によるものと言われている。11月1日に秋の収穫を祝い、悪霊を追い払う「サウィン祭」というものがそれで、発祥の地は北アイルランドのデリーだそうだ。
 古代ケルトでは、1年の終わりが10月31日とされ、その日は日本のお盆のように死者の霊(精霊)が家族に会いに来ると伝えられていた。その際、精霊とともに悪霊まで一緒に来てしまうという言い伝えがあったことから、人々はそれらを追い払うために仮面をかぶったり、魔除けの焚火をしたりした。それが今の仮装習慣やジャック・オー・ランタンにつながっているとされる。
 また11月2日は死者の日とされており、その日は子どもたちが仮面をつけ「ソウルケーキ」を求めて家々を回ることが習慣となっていて、それが今のトリックオアトリートにつながっている。

 その後、ケルト民族は各地のカトリック系民族の支配下に入ることとなり、それらの習慣は受け継がれていくこととなるが、現地ではあくまでキリスト教の文化とは別物という認識が大勢を占めているようだ。
 しかしハロウィンの語源についてはカトリック教に由来があるとされ、同教における11月1日の祭事「万聖節」の前夜祭「All Hallow’s Evening(またはEve)」が言い変わって「Halloween」になったと言われている。※Hallow=聖者などの意
 それらを考えると、ハロウィンの仮装と称してゾンビや魔女になるだけでなく、アニメやゲームのキャラクターに扮することは本来の文化とはかけ離れた日本人ならではのイベントとなっているといえるだろう。
近代のハロウィンイベントはどのようにして確立されたのか?

 さて、最近のハロウィンと言えば、仮装パレードや子どもたちが家やお店を回ってお菓子をもらうトリックオアトリートなどが主流だが、それらはどのようにして根付いたのだろうか。国内の話で言えば、1970年代に「キディランド原宿店」が初めてハロウィン関連商品を店頭販売したことに始まり、83年には同店が初のハロウィンパレードを開催した。その後1990年代後半に東京ディズニーランドによるハロウィンイベントを筆頭に日本全体で浸透していき、冒頭の経済効果を誇るまでに至るのである。

 六甲味噌製造所が居を構える芦屋の近辺では、六甲アイランドで1990年にハロウィンパレードが行われており、全国的に見てもかなり早い開催と言える。これは同年に移転開校したカネディアンアカデミイとの文化交流イベントの際、本国の方々が「アメリカにはこんな文化がある」と教えてくれたのがきっかけなのだという。以降六甲アイランドでは毎年ハロウィンフェスティバルが開催されており、数万人の来場がある関西でも最大規模のイベントに成長している。
 ちなみに1993年、この六甲アイランドへアメリカのミネソタ州アノカ市からミス・アノカが「ハロウィンアンバサダー」として来日した。なぜミス・アノカがハロウィンアンバサダーなのか。実はここに近代のハロウィンイベントの基になる話があるのだ。
 
 ハロウィンはヨーロッパから生まれたものであることは前述のとおりだが、その後宗教的意味合いが薄れていき、その文化はアメリカへ移行していく。アメリカでは当時未開拓の荒れ地でも育つ「カボチャ」が重宝されており、いつしかそれがハロウィンのシンボルになった。
 そして約100年前、アメリカ国内ではトリックオアトリート(いたずらか、お菓子か)が深刻な問題となっていた。お菓子をくれない家を壊したり、車を燃やしたりという、まるで笑えないいたずらが横行していたのだ。
 そこで当時のアノカ市はその解決策として、ハロウィンをやめさせるのではなく、逆に市の正式な行事として開催することにした。市の正式行事なのでしっかりとしたルールを定め、多くの人が楽しめるような内容にしたのである。この文化がアメリカ全土に広がって今のハロウィンイベントの基となったことで、アノカ市は「ハロウィンオブザワールド」と言われるようになり、ミス・アノカがハロウィンアンバサダーとされているのである。

 図らずも、近年日本でも渋谷のハロウィンがまさに無法地帯と化している。盛り上がるのは良いことだが、どちらかと言えばマイナスイメージを与えてしまっているだろう。ここはぜひ1世紀前のアノカ市のように、しっかりとしたルールを作ってくれるリーダーが現れてほしいものである。そうなれば、渋谷から次のハロウィンアンバサダーが出るかもしれない。
(文/イベントプロデューサー・北浦諭)