おみそコラムcolumn
日本の文化を見直そうVol.14〜筍は、旬を最も表した食材〜
10日で成長することから筍という字が生まれた
春の到来を示すべく、巷で筍が並ぶようになった。農業技術の高まりにより、最近は季節感が薄れつつあるが、筍はビニールハウス栽培ができないので、昨今に珍しく春を感じる食材なのかもしれない。筍は、ご存知の通り竹の子で、字にしても“竹の子”と書いたり、“筍”と記したりする。後者の字は、筍の成長度合いを示したもので、よくできたものだと常々思っていた。
筍とは、イネ科タケ亜科タケ類の若い芽のこと。竹の地下茎から出ている若い芽をそう呼んで、我々は食材として用いる。ところがイメージからは、竹林に筍が結びつきにくく、すっと伸びた竹を見ても美味しそうと思う人はまずいないだろう。食用とする筍は、地上に稈が出現するか、しないかぐらいのものを指す。その成長は早く、地上に出たと思いきやあっという間に伸びてしまう。筍は地上に顔を出すと、10日で数十cmに達し、いつしか1mを超えてしまう。そうなってしまうと、もう食べ頃は逸してしまっているのだ。
私達は、食材を語る時に“旬”というフレーズをよく用いる。旬とは、その食材が最も美味しい頃や、よく採れる頃を指している。本来、旬とは、10日を意味する。よく月のうちで、上旬・中旬・下旬を呼ぶことからわかってもらえるだろうが、それは10日ごとの単位なのだ。竹冠に旬と書いて「タケノコ」というのは、まさに筍が10日で竹になるといわれ、それが文字となって表れたと思われる。だから私は冒頭に「よくできた字だ」と言ったのである。言葉として筍関連であるのは、“雨後の筍”という表現。春は雨が多く、その雨が降った後には筍が生えやすくなる_、それを称して“雨後の筍”と呼んでいる。意味としては、ある事象がきっかけとなって続々と発生して来る様をいう。“筍生活”なんていうのも関連した言葉。筍の皮を一枚ずつはいでいくように身の周りのものを少しずつ売って生活を凌いでいく様を表している。“筍の親まさり”なるフレーズは、親より子が優れていることをいう。竹は食べられないが、子である筍は食用に適している_、そんなことを言いたいのだろう。このように筍は、その特性から色んなたとえとして使われており、我々には関係性の深い素材だというのがわかる。
ところで筍はどこで産されるか知っているだろうか。平成28年度の資料では、1位が福岡県、2位が鹿児島県、3位熊本県と九州が挙がっている(九州で約6割を占める)。そしてようやく全国に名を馳す京都産が8%で、4位に来ているのだ。鹿児島は南国なので11月頃から収穫が始まり、他の九州産や四国産でも12月中旬ぐらいから出始める。筍が春を印象づけるのは、やはり京に都があったからか。京都産は2月中旬ぐらいからで、春がまさに筍の収穫時期にあたるのだ。筍は、日本では孟宗竹に始まり、それが5月半ばまで。淡竹は4月中旬から5月いっぱいで、真竹は5月から6月半ばぐらいに採れる。その後、根曲がり竹、寒山竹と続くのだ。
ところで、筍の食べ方は、生に焼き物、煮物、揚物と色々ある。味噌との関係では、やはり木の芽和えだろう。白味噌と木の芽を用いて作る筍の木の芽和えは、春の風物詩ともいえよう(六甲味噌製造所には木の芽味噌なる商品もある)。筍の天ぷらを食すなら六甲味噌製造所で近年売り出しているおかず味噌の「山椒味噌」がぴったりかもしれない。もし鮮度のいい筍に出会ったなら生で食べることもオススメしたい。軽く湯がいて刺身風に醤油をつけて食べると、なかなかオツなものである。但し、朝堀りで、新鮮なものに限るが…。何なら筍は乙訓産というように、京都の日向市、長岡市、大山崎町で採れたものを味わいたものだ。この地の筍農家では、竹林をふかふかの土壌して日当たりを考えながら育てている。こうすることで柔らかく、香りのあるものができるらしい。さて、時季は寒が過ぎ去り、春爛漫に。こんな時は、京都の朝掘り筍に出合いたいものだ。(2021/04/06)
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)
<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。