おみそコラムcolumn
ニッポンの文化を見直そう12~干支とは、時間の性質で、動物とは本来関係がない~
干支は、陰陽五行説から来た十干と十二支の組み合わせ
 年賀状が届く時期になると、改めて今年の干支(えと)を確認することが多い。2021年は丑年で、丑は農作業に欠かせない動物からその親しみもあり、イメージも合わさって耐えるとか、一歩一歩着実に物事を進める年のように理解されているようだ。元来、丑の字は「うし」ではなく、「ちゅう」と読むのが正しい。古代の中国では、干支で時間の性質を表したといわれている。冬が終わりかけ、春に移行する期間を丑(ちゅう)といい、種子の中で育った芽が、まだ絡みあって地上に伸びて行かない様を表現しているのだ。なので丑年の意味とされる耐えるもあまり意味はなく、春を待つ芽として考えるのが正しい。我々は歩みの遅い牛になぞらえて意味を持たそうとするが、本来の意味からしておかしいのだろう。
 日本人は、十二支を子(ねずみ)、丑(うし)、寅(とら)、卯(うさぎ)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(いのしし)と覚えている。ではなぜ子は鼠ではなく、丑は牛と書かないのか。武光誠著の「日本人にとって干支とは何か」(KADOKAWA夢新書刊)を読むと、その説明が詳しく記されている。我々は、干支を「えと」と読んでいるが、実は「かんし」と読むのが正しい。干支(かんし)とは、中国から来た時間の性質のとらえ方で、十干と十二支を組み合わせて作られている。十干は表1のように分けられており、十二支はご存知のように表2となる。奇数の干支(陽の十干と陽の十二支の組み合わせ)と、偶数の干支(陰の十干と陰の十二支の組み合わせ)を合わせると、60通りができるのだ。
 ちなみに中国では陽が奇数で、陰が偶数と考えられている。この十干と十二支の組み合わせは、古代中国の陰陽五行説から来ており、簡単にいうなら時間のとらえ方を指す。陰陽五行説は、中国の春秋戦国時代にできた陰陽思想と五行思想を結合させたものであるが、この説明をすると難しく、長くなりそうなのでここでは省かせてもらおう。
 60通りの中で我々のなじみがあるのは、丙午(ひのえうま)ではなかろうか。この年に生まれた女性は、気性が激しく、夫の命を縮めるとの迷信を持つので、昔から丙午の年は出世が少ないとされる。また、甲子園球場は、甲子(きのえね)の年にできたためにその名がつけられたそうだ。
 とにかく中国の戦国時代に鄒衍(すうえん)という学者が出て陰陽五行説を唱え、そして十二支占星術を世に広めるためにわかりやすく12の動物を選んだようだ。十二支は特定の年月日を示すものとして日本に伝わり、独自の変化をもたらした。日本では古くから動物を神の使いとする、いわゆる動物信仰があったので、それと十二支が合わさり、今のように伝えられるようになった。ただ、十二支に動物をあてるとの考え方は日本だけではなく、中国はもとより欧州や中東にまで広がっている。それを伝えたのは、かつて元と称され、欧州まで巨大な領土を持っていたモンゴル帝国でないかとの説がある。十二支の動物は、日本も中国も韓国もほぼ同じ。ただ、亥が猪なのに対し、その両国は豚になっている。
 また、ベトナムでは牛が水牛に、兎が猫、羊がヤギに変わっている。陰陽五行説や十二支占星術が同じように広まったわりには、動物選びにお国柄が出ていて面白い。
 十二支の文字と動物は後からあてがわれたものだと書いた。なので子(し)、丑(ちゅう)、寅(いん)、卯(ぼう)、辰(しん)、巳(し)、午(ご)、未(び、又はみ)、申(しん)、酉(ゆう)、戌(じゅつ)、亥(がい)と読むのが正しい。そしてこの12年間で時間の性質が表現されていく。「子」は新しい生命の誕生、「丑」は絡むこと、「寅」は発芽を、「卯」を四本の草木が生える状態、「辰」はふるう、「巳」は成長が終わることで、「午」は衰弱を、「未」は味わい、「申」は固まっていくこと、「酉」はちぢむ、「戌」は滅びゆくこと、「亥」は閉じこもることとなる。まさに時の移り変わりが示されており、永い歴史の中ではそれを12年で表現しているのだ。例えば、来年の寅年は、本来動物の虎とは関係ない文字で、その文字(寅)は、うかんむりで芽を表し、その下の字で地中に張った根を表現しているそう。一字で春を控えて上昇する陽の気を意味している。コロナ禍であえぐ2021年だが、今年はまだそれがおさまるまい。この時期を耐え忍べば、いつかは春が来る_、そんな風に十二支が伝えてくれているのではないだろうか。(2021/01/18)
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)
<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三ノ宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。